ファファの世界旅行

日焼けを気にする白くまファファの世界旅行記

Sarajevo トンネル博物館への旅とおばあちゃんのプルーン

Bok!

ファファだよ。
 

昨日は広々としたベッドで、ゆっくり眠れた。

 

お昼時になりそうな遅い時間に起床したアンポンタン主人たちが、今日はどこ行こう〜と相談をしていたよ。

 

ふぁーち「今日は、市内観光と昼飯を食ってトンネル博物館とオリンピックスタジアムとサラエボ事件の橋とスナイパー通りと、、、」

 

って、

 

テメー、昼近くに起きといて盛り込み過ぎじゃーい!

 

ファファは、現実的に考えて、オリンピックスタジアムは明日にまわしましょうと諭した。

できた白クマだな!

 


 

サラエボは日本の様な建物とヨーロッパ調の建物とユーゴスラビアの建物が混在した面白い街。

Sarajevo meeting of culture と書かれたボーダーを境に西洋風の建物と日本の様な東洋風の建物がはっきりと分かれているんだ。

 


真ん中に立つと左右で別の国の様に景色が変わるので不思議な感じだったよ。

 

お昼はハト広場にある地元料理屋さんへ。

 

 

好きな物を選べるプレート。

日本人好みの味で美味しい!

 

そして、サラエボ郊外にあるトンネルに向った。


1993年、サラエボが包囲されて孤立していた時、
外から物資の輸送を行うために作られたサラエボ中心地へと続く800mのトンネルが残されているんだって。

 

サラエボが包囲された3年間、市民はサラエボから出ることが出来ずに、ただただ銃弾や爆弾から身を守って生活をしていた。



自分が生きている時代に起こったこの内戦の話は、日本の戦争体験談よりリアルに感じるな。

 

ネットで行き方を調べたら、こう出てきた!

「街中を走っているトラム3番(鉄道方面行き)に乗って終点まで行く(約30分)。
終点のすぐ横がバスターミナルになっていて、そこから32番のバスで
また終点まで(約10分)。そこから歩いて10分ほど。

バス停の左側に小さい橋があるのでそれを渡り、
すぐ左に曲がる。
住宅街をまっすぐ歩いていく(約600m)」

 

と、言うわけで3番トラムを探して人に聞くと

 

「バシュチャルシャの近くのトラム乗り場を背にして左に100mほど歩いた所にバスターミナルがあって、そこからトンネルまでのバスが出ているよ」

 

だって!

 

直接行けちゃうんだ!

 

ラッキー!!

 

確かに歩いていったらバスターミナルがあった!

 

だけど、どのバスに乗ったら良いか分からない。

 

そしたら又

 

「may I help you?」

 

そのお兄さんは、バス乗り場を教えてくれただけじゃなく、

車掌さんに降りる場所で道案内をする様に頼んでくれた。

なんて親切なんだ!


「来てくれて嬉しいよ。サラエボにようこそ。楽しんでね。」


彼は別れ際に笑顔でこう言った。

 

ファファ、感激!

 

バス(2.5KM)に乗って30分位した時だろうか、

3番トラムの終点でもあるバスターミナルに到着。

 

バスは少々停車したけど、車掌さんに「後3分位だから、そのまま乗っててね」

と言われ、待つ。

 

あれ、ネットではココから10分はかかるって出てたけどなぁ。

 

少し走った後で、なんでもない道で降ろされた。

「あの道をひたすら真っ直ぐ」

と車掌さんは言い残してバスと共に去っていった。

 

 
あり??
 
ネットに出ていた橋がないけど?
 
でもまぁ、歩いてみようかって
600mくらい歩いたんだけど、トンネルらしき看板は見つからない。
 
ちょっと不安になったので人に聞くことにした。
 
「トンネル?トンネルかぁ。この道を真っ直ぐ2km位行くとあるかなぁ」
 
「え?2km!?」
 
あ、この人、英語が苦手っぽいから2kmと200mを間違っちゃったんだね。
 
って、またまたひたすら歩いていく。
 

うーん。
 
看板がないなぁー。
 
「あの、すみません。トンネルに行きたいんだけど」
 
「トンネル?後1.5km位行った所に看板があるわよ」
 
ファファショック!!!
 
あの人の言う2kmは、本当に2kmだったんだ!
 
照りつける太陽がニクい。
 
ファファは絶望的な気分で歩いた。
 

 

そんな時、1人の老婆と目があった。

 

「ハロー」って挨拶をしたら、おばあちゃんに笑顔で手招きされた。

 

おばあちゃんの方に行くと沢山のプルーンをくれたよ。


言葉は通じなかったけど、暑いから、食べなさいみたいな感じで
わざわざ家にビニール袋を取りに行ってプルーンを洗って持たせてくれた。

 

 


 


こんな通りすがりの東洋人に、なんて優しいんだ!心がほっこり。

 

おばあちゃんの家にも沢山の銃弾の跡があった。

 

こんなに優しい人が、沢山怖い思いをして傷ついたんだろうな。

そんな事を感じさせない位に本当に綺麗な笑顔だった。

長生きしてね!ばーちゃん!

 

その後もおばちゃんたちや、沢山の人のお世話になった。
言葉は通じなかったけど、愛してもらったという事はわかる。
笑顔で優しく頭を撫ででくれたり肩をだいてくれたから。

 

暑くてツライ道のりだったけど、みんなのおかげでファファは俄然元気がでたよ!

 

そして、とうとうトンネルのサインを発見!

 

 

 
 
だけどね、
 
トンネル博物館の営業時間は5時までだったんだ
 
そして、
 
僕らが着いたのは5時10分!
 
ファファショック!
 
 
素直にネット情報にしたがって行ってたら入れただろうなー。パピ。
 
落ち込んでいると、お土産屋さんのおじちゃんが慰めてくれたよ。
 
このおじちゃんもトンネルを掘ったんだって。
 
 
この家の中にトンネルがあるなんて、信じられないよね。
 
「当時はこのトンネルも4ヶ所あって、車が入れる大きさのトンネルもあったんだよ。」
 
って話してくれた。
 
壁には沢山の銃弾の痕があって、当時の戦闘の激しさを物語っていた。

 

仕方なく、トボトボと引き返した後は、(帰りはネット情報に従ってすんなり戻れたよ。)

報道陣の為に爆撃されながらも営業をし続けたという伝説のホテルや

 

 


 

動くものは全て標的にされたというスナイパー通り

 

 

 

第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件のあった橋を見にいった。

 

 

 

爆弾や銃弾の痕は本当に生々しく、胸が痛くなる。

 

 

 

こんなに優しい人たちが、家族を守る為に戦わなくちゃいけなかったんだよね。


出会う人たちは本当に優しくて、サラエボの人と触れ合う毎に心がポカポカになっていく。


サラエボの人の笑顔は、ファファもこのポカポカをまた他の人に分けたいなって思わせるんだ。


本当の平和ってこういうことかもね。

 

 

じゃあまたね。

 

 

ファファの旅メモ

2015.07.28

 

トンネル博物館への行き方

 

旧市街から3番トラムに乗り終点の町 Ilidzaへ(1.6KM)

すぐ隣りのバス停から32番バスで終点まで。(1.6KM)

バス停の前にある小さい橋を渡りすぐ左に曲がって600m程歩くと左手に見えるよ。

 

バス停(赤のポイント)からトンネル博物館(Tunnel of hope)への道↓

 

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